テーマ判例コラム「切込み」 東京高裁令和7年4月10日判決
本稿でご紹介する東京高裁令和7年4月10日判決は、「切込み」という用語の意義が争われた損害賠償請求訴訟の判決です。
裁判では、法律や契約条項の解釈にあたり用語の意義が争われることがしばしばあります。特に本件のような特許侵害訴訟の場合、対象となる製品が特許を侵害するかを判断するにあたり、特許請求の範囲(クレーム)の文言解釈は重要な争点となりえます。
もっとも、本件のように「切込み」という一般的な単語の解釈が判決理由のほぼ全部を占める判決はやや珍しいものと思われます。特許に関する紛争の一例としてご紹介いたします。
【事例】
本件は、電子タバコ関連商品等の製造開発、販売等を行う国内事業者であるXが、国際的なたばこメーカーの日本法人であるYに対し、特許権侵害による損害賠償を請求した事案です。
Xの特許(特許第6815560号、以下「本件特許」といいます。)は、「シート状部材を有して構成され、電子タバコの長手方向を第1方向としたとき、前記シート状部材に前記第1方向に沿って切込みが形成され、前記切込みは、前記シート状部材の一の表面に前記シート状部材を貫通しない深さで形成されている電子タバコ用充填物。」というものです。
文書ではわかりにくいと思うので、下記リンク特許情報の図面をご参照ください。簡単に説明すると、縦方向に「切込み」が入った「たばこシート」によって製作された電子タバコであり、切込みがあることで吸い心地がよくなって電子タバコの中身も脱落しづらくなるとされています。
Xは、Yが輸入、販売している電子タバコ(以下「本件製品」といいます。)には「切込み」が入っており、Xの特許権を侵害する製品であると主張しました。そして、Yは同製品の輸入販売によって2000億円を売り上げており、本件特許の侵害によるXの損害はYの売上の20%である400億円を下らないと主張しました(本件訴訟では、損害の一部である1000万円のみを請求しています。)。
これに対しYは、本件製品に形成されている線状の断裂部は、タバコ基体となるタバコシートを捲縮加工(ローラーの間にシートを通して波型形状に成型すること)し、これを収束して棒状に成型する過程で生じる「割れ目」ないし「裂け目」であって、刃物で「切る」ことにより形成される「切込み」には該当しないため、本件特許の構成要件を充足しない(Xの特許権を侵害していない)と主張しました。
この主張の対立により、本件訴訟では「切込み」という単語が刃物によって形成されたもののみを指すのかが争われることになりました。
【判決】
第一審判決(東京地裁令和6年9月26日判決)は、以下の理由を挙げて、原告の請求を棄却しました。
①「切込み」の辞書的意味は「刃物である深さまで切ること。また、その部分。」「切り込むこと」「物の一部分だけに深く切り目を入れること。」である。このような辞書的意義によれば、「切込み」とは、刃物を用いて能動的・人為的に「切り目」ないし「切れ目」が形成された構造ないし状態を意味すると理解される。
②本件特許の明細書において、「切込み」の形成手段として「カッター刃、カミソリの刃、ロータリーカッター等」が例示される一方で、それ以外の手段で「切込み」が形成されることについての記載ないし示唆は無い。
③本件特許の効果は切込みによって電子タバコの充填物の脱落を防止することができ、切込み部が気流方向を誘導する空気の均一な通路となり吸い心地を安定させるというものであるところ、切込みの構造ないし状態については何らかの方法により人為的・能動的に制御することが好ましいとされていることが窺われる。その点を措くとしても、刃物で形成された切れ目に比して、それ以外の方法によりシート状部材の表面が裂けたり割れたりして形成された裂け目ないし割れ目では断裂部の形状や構造が不規則なものとならざるを得ない。しかるに、本件特許の明細書には、切込みに相当する断裂部の形状や構造が不規則なものであっても特許発明の効果が得られるとする記載は見当たらない。
④以上によれば、本件特許の構成要件である「切込み」とは、刃物でシート状部材の表面を切ることにより形成された、切れている部分を言うものと解するのが相当である。
⑤一方で、本件製品にはタバコシートに捲縮加工を施し棒状に成形する過程で形成された裂け目ないし割れ目が存在するものの、これらは刃物で切ることにより形成されたものではないから本件特許における「切込み」にあたらない。したがって、本件製品の販売等はXの特許権を侵害するものではなく、XのYに対する損害賠償請求は認められない。
Yは控訴しましたが、控訴審である東京高裁令和7年4月10日判決も、「切込み」とは、刃物を用いて人為的・能動的に「切り目」ないし「切れ目」が形成された構造ないし状態を意味するものであるとして原審判決を支持し、控訴を棄却しました。
【解説】
特許を受ける際には、特許を受けようとする発明を明確にするために、その発明を特定するのに必要な事項を全て記載した「特許請求の範囲」を願書に沿えて特許庁長官に提出しなければなりません(特許法第36条1項、2項、5項、6項)。この「特許請求の範囲」のことを「クレーム」といいます。
また、特許法第70条第1項は、特許発明の技術的範囲は、願書に添付した特許請求の範囲(クレーム)の記載に基づいて定めるとしており、さらに同2項は願書に添付した明細書の記載および図面を考慮して特許請求の範囲に記載された用語の意義を解釈するものとしているとしています。
本件の場合、クレームに用いられている用語である「切込み」について、その辞書的意義を基準としつつ、明細書に記載された刃物の例示や切込みの効用を考慮して、刃物を用いて人為的に形成された切れ目のみが該当すると判断されたことになります。
ところで、「切込み」という用語が刃物による切れ目のみをさすという本件判決の文言解釈については、どの程度一般論を有するでしょうか。
この点、Yは本件製品の切れ目について「切込み」という表現を用いている記事が存在することを指摘しています(おそらく下記リンクの記事を指しているものと思われます。)。
この記事で本件製品について「独自の吸いごたえを引き出すため、たばこシートに切り込みを入れる工程があることも特徴的だ。」という表現が用いられているように、「切込み」という表現自体は、その形成方法に関わらず単に「切れたところ」を指す用語であると解しても特に違和感はありません。
また、本件判決は、本件特許のクレームについて、物の形状のみならずその製造方法により特定しようとするクレーム(プロダクト・バイ・プロセス・クレーム)であると解したことになります。しかしながら、「切込み」を刃物によって形成するという製造方法が本件発明の効果との関係で重要な要素であることが具体的に認定されているわけではなく、この点に関する一審判決の上記③の認定はやや曖昧です。実際、上記記事を見る限り、本件製品の「割れ目」ないし「裂け目」も、本件特許の「切込み」と同様に吸い心地を安定させる効果があったのではないかと思われます。
ところで、Yの主張によれば本件製品は本件特許が出願される以前から販売されていたようです。実際、本件特許の出願日が平成31年3月であるのに対し、平成31年1月29日付の上記記事で本件製品が紹介されており、少なくともYが本件特許を積極的に侵害していたとは言いがたい事案と思われます。そのため、Y側も、本件製品が特許を侵害するものであるかという点のほかに、本件特許が新規性、進歩性を欠くことによる特許の無効や、Xによる先使用権の成立なども主張しています。第一審及び控訴審判決は本件製品がそもそも特許権を侵害していないと判断しており、他のYの主張について具体的な事実認定や法的判断はされていませんが、仮に本件製品が本件特許のクレームに該当する製品であると判断されたとしても他のYの主張によりXの損害賠償請求は棄却され結論は変わらなかった可能性は十分考えられます。
このような点を考慮すると、本件判決における「切込み」の解釈は事案に応じた判断であり、その解釈自体を広く一般化することはできないと思われます。例えば、「切込み」がクレームの重要な要素を構成する特許に対し、単に刃物によらず「割れ目」ないし「裂け目」を形成することによって特許権侵害を回避できるというのは、事案にもよりますが妥当な結論とは言いがたいでしょう。
ところで、本件判決と同様にクレームの記載の解釈が問題となった判例として知財高裁平成23年9月7日中間判決があります。これは、切り餅を焼く際に均等に加熱する工夫として餅の側面に切込みを入れる発明の特許に対し、側面だけでなく上下面にも切込みを入れた切り餅が特許侵害を構成するかが争われた訴訟です。結論として、こちらの事件では特許権侵害が認められました。
この切り餅事件でも「切込み」が重要な争点となっています。製品開発において僅かな工夫が大きな効果を挙げているからこそ、大きな争いの種にもなっていることが窺われます。
令和7年4月19日 文責 弁護士 増﨑勇太
プラスワン法律事務所
※この解説は公開されている判例をもとに作成されたものです。判例で認定された事実と、実際に生じた事実が異なる場合がありうることはご留意ください。