テーマ判例コラム「やり投げ」 岡山地裁平成14年4月19日判決

 年末の風物詩の一つである「今年の漢字」ですが、2024年は「金」の字が選定されました。

 「今年の漢字」は日本漢字能力検定協会が毎年実施している企画です。公募による多数決で今年の漢字を決めているため別の年と同じ漢字が選定されることも多く、「金」の字が選ばれるのは今回で5回目です。過去に「金」の字が選ばれるたのは2004年、2012年、2016年、2021年であり、オリンピック開催の年には頻繁に「金」の字が選ばれています。

 今年(2024年)のパリオリンピックでも多くの日本人選手がメダルを獲得しましたが、特にに北口榛花選手が金メダルを獲得したやり投げは、これまで日本人選手が注目されなかった種目からの快挙であり、特に印象に残っています。

 今回ご紹介する岡山地裁平成14年4月19日判決は、やり投げの選手が交通事故により受傷した事案において、慰謝料のついての判断がされた事案です。受傷者の特別な事情を慰謝料の判断において考慮した判例として参考になると思いますので、紹介させていただきます。

【事案の概要】

 原告は、事故当時陸上部に所属していた高校生です。やり投げ選手としてその年の全国高校トップの記録(69.94メートル)を県大会で出すなど優秀な結果を残しており、大学から進学の勧誘を受けたり、シドニーオリンピックの出場も検討するほどでした。

 ところが原告は、乗車していた自動車が被告車両と衝突したことにより、頭部外傷、頚部捻挫等の障害を負いました。

 原告は約半年間の通院加療を経て、顔面の瘢痕醜状痕が残ったほか、左肩にやりを投げる際の違和感が残ったとされています。なお、醜状痕については後遺障害14級と認定されていますが、左肩については痛みが消滅しており、後遺障害の認定はされていないようです。

 原告は、通院中は満足な練習ができず、復帰後の大会でも61メートル程度の記録しか出せませんでしたが、事故後には大学へ進学してやり投げ競技を継続し、国体では5位入賞(71メートル)の記録を出しています。

 原告は、事故の負傷により公式競技やオリンピックに参加する機会を逃し、さらにやり投げの成績の低下により従前のような記録更新が望めなくなったことで人生設計が打ち砕かれてしまったとして、1500万円の慰謝料及び150万円の弁護士費用を損害賠償請求しました。なお本訴訟において治療費や後遺障害逸失利益の請求はなく、慰謝料の金額のみが争点となっています。

【裁判所の判断】

 裁判所は、原告が本件事故の負傷により満足な練習ができず、その結果、シドニーオリンピック出場等のために重要な競技会を欠場したり、出場しても不本意な結果しか残せなかったことは明らかと認定しています。一方で、治療後には左肩の痛みは消失して陸上選手としての活動を継続しており、就労に特段不利益な事情は存在しないとし、さらに、仮に本件事故による負傷がなかったとしても、順調に競技成績を伸ばして第一希望の大学に合格できたかや、シドニーオリンピックに出場できたかについては不確定要素があり、これらが確実に実現しえたと認め得る証拠はないとして、怪我の影響を限定的に認定しました。(この点、当時はシドニーオリンピックの出場目安である82メートルの記録をクリアできる選手がおらず、シドニーオリンピックやり投げ競技に出場した日本人選手がいなかったことも指摘されています。)

 結論として、原告の精神的苦痛に対する慰謝料は傷害分、後遺障害分併せて300万円が相当とし、弁護士費用を含めて330万円の損害賠償請求権を認めました。

【解説】

 一般的な交通事故訴訟の基準(いわゆる赤い本基準)に基づいて本件事故の慰謝料を検討する場合、半年間の通院加療に対する慰謝料が89万円(別表Ⅱ基準)、後遺障害14級に対する慰謝料が110万円となり、合計金額は200万円程度です。したがって、裁判所は一般的な基準に対し100万円程度の慰謝料増額を認めたことになります。

 本件事案について慰謝料の増額を100万円としたことにに対する印象は人によって分かれるかもしれません。原告としても、一般的な基準を大きく上回る1500万円の慰謝料を請求したことは、事故によりやり投げ選手としての様々な可能性が絶たれたことに対して相応の思いがあったためと思われます。

 この点、原告が事故後もやり投げ競技を継続し一定の成果を残していることは、怪我による影響を限定的に解さざるを得ない事情です。仮に事故によりやり投げを継続できなくなった等の事情があれば、後遺障害慰謝料や後遺障害逸失利益を含めて損害額をより大きく認定できたと思われます(なお、本件では外貌醜状による後遺障害を含めて後遺障害逸失利益の主張がされていませんが、何らかの事情で主張を断念したのか、示談交渉段階で慰謝料以外の損害については示談が成立していたのかは判決文からは読み取れず不明です。)。

 本件が慰謝料の対象となる精神的苦痛として考慮しているのは、原告の選手としての能力が制限されたことに対するする苦痛というよりは、治療期間中に練習や公式大会へ出場できなかったことによる苦痛に限定されているように読めます。それでもなお、事故による受傷が大学進学という人生の大きな節目の一つに影響していることを踏まえれば、慰謝料の金額をどのように評価すべきかは非常に悩ましく思えます。

 また裁判所は、慰謝料の決定にあたり、怪我によるやり投げ競技への影響のほか、「本件事故の態様、原告の受傷内容・程度、入通院期間、後遺障害の内容・程度等、本件に現れた一切の事情を勘案」したとしています。本件事故は、被告車両が中央分離帯を越えて反対車線に飛び込んだことで原告車両に衝突した事故であり、被告側の過失が相当程度重かったように伺われます。この点も、慰謝料を増額する要素となっているかもしれません。

 以上の通り、本件判決の判断は事例判断としての面が大きく直ちに一般化できるものではありません。もっとも、交通事故の通常の慰謝料基準では評価しきれない特段の事情が存在する場合に、裁判所が慰謝料の増額を認めた事案として参考になると思われます。

 交通事故の損害賠償額算定は「赤い本」等により明確な基準が定められていますが、同基準は具体的事案に応じて損害額を増減調整することを否定するものではありません。このような事案に応じた検討ができているかは、筆者自身、日ごろの対応をよく顧みる必要があります。

【おまけ】

 ところで、本コラムを執筆するにあたり、「オリンピック」をキーワードとして判例検索をしてみたところ、オリンピック関連の贈収賄事件や住民訴訟等が目立ちました。オリンピック開催年はやはり「金」の年なのかもしれません。

 面白かったものとして、東京地裁昭和45年4月8日判決があります。同判決は、東京オリンピック開催時に外国報道関係者の宿泊施設として建設した建物を、オリンピック後に分譲住宅として分譲した事案について、当該分譲住宅は「新築した住宅でまだ人の居住の用に供したことのないもの」に該当するとして不動産取得税の課税控除適用が認められると判断したものです。オリンピック終了後の関連施設の扱い方については、1964年の東京オリンピックでも苦慮していたのだなと考えさせられます。

岡山地裁平成14年4月19日判決

令和6年12月31日 文責 弁護士 増﨑勇太

プラスワン法律事務所

※この解説は公開されている判例をもとに作成されたものです。判例で認定された事実と、実際に生じた事実が異なる場合がありうることはご留意ください。

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