テーマ判例コラム「覚せい剤密輸」       東京地裁令和5年7月28日判決

 令和6年2月、増﨑及び川島を含む弁護士4名が長崎市内の中学校で法教育授業を行いました。授業では弁護士の業務を紹介するとともに、さるかに合戦を基にした「昔話法廷」の映像を生徒に見てもらい、裁判員であれば蟹を殺害した猿にどのような刑を課すかを考えてもらいました。

 被告人(被告猿?)を死刑にするかどうか考えるという、大人であっても非常に難しいテーマでしたが、生徒の皆さんは真剣に考えてくれました。18歳になれば成人として裁判員に選ばれる可能性がありますので、中学生にとって裁判員裁判は決して遠く離れた出来事ではありません。生徒の皆さんにとって授業が法律や裁判について考えるきっかけになればと思います。 

 実際の裁判員裁判においても、事件の内容については概ね争いがなく、裁判員は被告人の量刑のみを検討する事案が多数だと思います。そのようななかで、しばしば無罪判決が現れるのが覚せい剤密輸事件です。

 覚せい剤取締法第13条は、覚せい剤の輸出入を禁止しており、営利目的で覚せい剤密輸をした場合は同法第41条第2項により無期もしくは3年以上の懲役及び情状により更に1000万円以下の罰金に処せられます。無期懲役に当たる罪に係る事件は裁判員裁判の対象となりますので(裁判員裁判法第2条第1項1号)、覚せい剤密輸事件は裁判員が裁判に参加し、有罪無罪の判断を含む判決を決めることとなるのです。

 今回は、覚せい剤密輸事件について無罪判決を出した東京地裁令和5年7月28日判決を中心に、裁判員裁判における密輸事件の判断を概観したいと思います。

【事例】

 本件は、香港から密輸された覚せい剤について、捜査機関があえて覚せい剤の入った貨物を運送させたところ、暴力団構成員である被告人が配送業者と落ち合って貨物を受け取ろうとしたため覚せい剤密輸の犯人として認知されたという事案です。

 被告人は、愛人から防舷材(船体を損傷させないために岸壁につける保護材)を受け取ってほしいと頼まれたにすぎず、荷物が覚せい剤であることは知らなかったと主張しました。

 検察官は、被告人が配送業者に「キムラ」という偽名を名乗ったこと、Eという人物に200万円の報酬を約束して倉庫を手配させたこと、その際被告人が「ゴム製品の中に覚せい剤が入っている」旨を述べたとEが供述していることなどを根拠に、被告人は荷物が覚せい剤であることを認識しつつ荷物を受け取ったと主張しました。

 これに対し裁判員を含む裁判体は、被告人がトラックやフォークリフトを実名で借りており、「キムラ」と名乗ったのは荷物の本来の受取人が「キムラ」であると認識していたためであって、違法な荷物を受け取るという認識のもと行動していたとはいえないとしました。また、Eの供述は大きく変遷しており(なお、E自身も別件の覚せい剤密輸により有罪判決を受けて服役中)、被告人が「ゴム製品の中に覚せい剤が入っている」旨を述べて200万円の報酬を約束した旨の供述は信用できないとしました。そして、その他全証拠を見ても、被告人が覚せい剤の受け取りを認識していたと推認させるに足りる証拠は認められないとして、無罪を言い渡しました(求刑:懲役20年及び罰金1000万円)。

【解説】

 覚せい剤密輸事件の判例を見ると、覚せい剤密輸の認識を争う被告人の言い分は多様です。①偽造旅券をマレーシアから日本に持ち込む依頼を受けた際に「お土産として渡してほしい」として渡されたチョコレート缶に覚せい剤が入っていたと主張する事案(最高裁平成24年2月13日判決:一審・最高裁無罪、高裁有罪)、②メキシコの「投資家」から投資に関する書類と「ギフト」であるとして日本の関係者に渡すよう持ちかけられた荷物に覚醒剤が入っていたと主張する事案(千葉地裁令和5年10月10日判決:有罪)、③「サンテゥール」という民族楽器のケースを日本に持ち込むことを依頼され、同ケースに覚せい剤が入っていたと主張する事案(大阪地裁令和5年6月27日判決:有罪)、④「国際連合国際支払調整官」を名乗る人物から「基金支払センター事務局長」なる人物への贈り物として預かった物品に覚せい剤が入っていたと主張する事案(神戸地裁令和5年6月5日判決:無罪)、⑤プレミアのスニーカー、骨董品、医薬品等の個人輸入品の荷受けバイトと認識して覚せい剤の入った荷物を受け取ったと主張する事案(大阪地裁令和5年5月31日判決:無罪)など、枚挙にいとまがありません。

 事実認定の傾向としては、荷物を受け取ることになった経緯等の被告人の弁解が自然であるか、被告人が受け取っている報酬の額が違法性を認識させるほど高額ではないか、荷渡人や依頼者との間でどのようなやり取りがされていたかなどに照らして、被告人が覚せい剤を含む違法薬物を輸入する認識を持つことができたか、被告人の言い分が不合理ではないかという点が判断されているようです。いずれの事案も被告人が荷物の運搬を依頼された経緯には不自然な点があり、被告人は「何らかの違法行為に巻き込まれているのではないか」という認識を有する契機はあったようです。①の事案では、偽造旅券の輸送という別の違法行為として説明を受けており、さらに渡されたチョコレート缶に封がされていることも確認していたなどの事情から、覚せい剤を含む違法薬物の認識はなかったとされています。⑤の事案では、被告人は依頼内容への不信感はあったものの、むしろ自身が荷受け詐欺の対象とされている可能性などを考慮しており、犯罪に加担させられている可能性や荷物の中身が違法薬物であることに思いが至らなかったと認定されています。この事案は、被告人が前科や違法薬物との関わりがそれまでなく、受け取る荷物に覚せい剤が入っているという発想に至りにくかったという点も考慮されているようです。一方で、③の事案では、被告人にマリファナ等の使用歴があり、覚せい剤密輸のニュースを検索していたこと、依頼者との間で相応の信頼関係をうかがわせるメッセージのやり取りがあったことなどから、運搬していたケースに違法薬物その他違法な者が隠されているという疑いにとどまらずその認識を依頼者と共有していたと認定されています。

 今回紹介した判例の事例は、被告人が暴力団構成員であり、直接の依頼者が被告人と親密な関係と思われること、荷物の受け取りのために少なくない費用を支払ったことを窺わせる事情があることなど、上記の判断基準に照らして覚せい剤の受け取りを認識していたと疑わせる事情もあるようです。この点、判決文を見る限り、検察官立証の重要部分を証言するはずのEという人物(被告が倉庫の手配等を依頼した人物)の公判廷における供述がかなり曖昧で混乱していたようであり、そのため裁判員が有罪の確信を得るに至らなかったのではないかとも思われます。

 裁判員裁判は、刑事司法に市民の日常感覚を反映させ、司法に対する国民の理解と信頼を向上させることを目的に平成21年から導入されました。覚せい剤密輸事件において、被告人の弁解を直接聞いた裁判員が覚せい剤密輸の故意の有無を判断し、複数の無罪判決を出していることは裁判員裁判導入の成果の一つと言えるでしょう。裁判員裁判導入後初期の①事件では、第一審裁判員裁判の無罪判決を覆して有罪判決を出した控訴審に対し、最高裁が控訴審を破棄して再度無罪判決を出していますが、その補足意見において、控訴審は裁判員裁判における裁判員の様々な視点や感覚を反映させた判断を尊重すべきと述べられたことの意義も大きかったでしょう。

 一方で、裁判員裁判の導入から15年近くが経過し、裁判員裁判のあり方について再検証することも重要です。被告人が外国人や暴力団構成員の場合に、予断や報復への恐怖による判決への影響が生じていないか、限られた期間の集中審理により十分な検証ができないまま判決を出さざるを得ない事案がなかったかなど気になるところです。

 もし皆さんが裁判員に選任されたら、上記事案についてどのような判断をするでしょうか。刑事裁判のニュース等を見る際、自分も裁判員に選ばれるかもしれないという意識を持つと見方が変わってくるかもしれません。

東京地裁令和5年7月28日判決

最高裁平成24年2月13日判決

令和6年2月27日 文責 弁護士 増﨑勇太

※この解説は公開されている判例をもとに作成されたものです。判例で認定された事実と、実際に生じた事実が異なる場合がありうることはご留意ください。

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