テーマ判例コラム「芸能スキャンダル」     最高裁令和5年11月17日判決   

 芸能人による薬物使用や不貞など、いわゆる「芸能スキャンダル」は常に「人気」のニューストピックです。近年は週刊文春によるスキャンダル報道を指す「文春砲」という言葉も定着し、スキャンダルを起こした芸能人への社会的非難も厳しいものとなっています。一方、報道の正確性や態様が問題視されることもあり、報道の在り方にも様々な意見が出ているところです。とはいえ、著名人のスクープは古今東西を問わず注目の的であり、今後も芸能スキャンダルは「人気」のニュースであり続けるのだろうと思います。

 弁護士の視点からすれば、著名人のスキャンダルが報道された際に、その報道がどのような法的影響をもたらすのだろうかという点も気になってしまいます。今回ご紹介する判決は、映画出演俳優のスキャンダル(違法薬物)をを理由とする映画への助成金を不支給決定を最高裁が取消したというものです。公的助成と表現の自由の関係について最高裁判所が判断を示す興味深い判決となっています。

【事例】

 本件訴訟の原告であるXは映画制作会社であり、被告であるYは芸術活動に対し助成金交付等の振興活動を行う独立行政法人です。

 Xは、漫画を原作とする映画(以下「本件映画」といいます。)の製作をすることとし、撮影を終えた段階でYに対し助成金の申請を行いました。Yは本件映画の内容等を審査のうえ、平成31年3月29日付でXに対し助成金として1000万円を交付する予定である旨の交付内定通知を出しました。なお、この時点で本件映画は編集作業まで完了し、翌月には初号試写を実施するという状況にありました。

 ところが一方で、本件映画の出演俳優であったAが同年3月12日にコカインの使用で逮捕され、翌日にはその事実が広く報道されました(なお、逮捕されたのは助成金内定通知の前ですが、助成金交付の検討が行われたのは逮捕前であったと認定されています。)。

 Aは著名な俳優として数多くの作品に出演しており、逮捕が報道されたことで大河ドラマでAの登場するシーンがカットされ代役が立てられたり、Aが声優として出演していたディズニー映画のブルーレイディスクの生産・販売が中止されるなどの騒動になりました。

 Yの担当者は、初号試写会においてX代表者に対し、逮捕されたAの代役を立てて映画の再編集等を行う予定があるか尋ねましたが、X代表者は再編集等はしないと回答しました。すでに撮影を完了して映画の公開時期を公表していたため、再撮影のために出演者等の調整をすることが難しく、ロケセットの作り直しにも多額の費用を要するなど、再撮影が困難であったためです。また、本件映画のメインキャストの一人は、役作りのため体重を30キロ増やすなどの調整をしており、再撮影のために再び役作りをすることは困難だったという事情もあるようです。

 Yは、令和元年7月10日、「本件映画には、麻薬及び向精神薬取締役法違反により有罪が確定したものが出演しており、これに対し国の事業による助成金を交付することは、公益性の観点から適当ではないため」との理由を記載して助成金不交付の決定をしました。

 Xは、同年12月20日、助成金不交付決定の取消を求めて本件訴訟を提起しました。

(なお、XはAが逮捕されたことに派生する損害の賠償としてAから1000万円の支払を受けたようですが、XがAの逮捕により被った損害は補助金不交付にとどまらず3000万円に上るとも主張しています。)

【判決の内容】

 第一審判決(東京地裁令和3年6月21日判決)は、公益性を理由とする助成金交付内定の取消は、その運用次第では芸術団体等による自由な表現活動を妨げる恐れがあり、取消の理由とされた公益の内容や助成金不交付によって芸術団体が被る不利益等を総合考慮して合理的理由を欠く決定は取消されるべきとしました。そして、薬物使用により逮捕された俳優が出演している映画に助成金が交付されたとしても、観客等に対し「国は薬物乱用に対し寛容である」等の誤ったメッセージが広められ、違法薬物に対する許容的な態度が一般に広まる恐れがあるとは認められないとして、助成金不交付決定を取消しました。

 これに対し、控訴審判決(東京高裁令和4年3月3日判決)は、本件映画に対して助成金を交付することによって国民に「国は薬物乱用に対し寛容である」等の誤ったメッセージを発したと受け取られ、薬物に対する許容的な態度が一般的に広まり、助成金制度への国民の理解を損なう恐れがあるとして、第一審判決を取消し原告の請求を棄却しました。

 上告審は「助成金を交付すると当該活動に係る表現行為の内容に照らして一般的な公益が害されることを理由とする交付の拒否が広く行われるとすれば、公益がそもそも抽象的な概念であって助成対象活動の選別の基準が不明確にならざるを得ないことから、助成を必要とする者による交付の申請や助成を得ようとする者の表現行為の内容に萎縮的な影響が及ぶ可能性がある」として、一般的な公益が害されることを考慮事由として重視しうるのは、当該公益が重要なものであり、かつ、当該公益が害される具体的な危険がある場合に限られるとしました。そして、本件映画に助成金を交付することで「国は薬物乱用に対し寛容である」等の誤ったメッセージを発したと受け取られることは想定しがたく、本件処分は社会通念に照らし著しく妥当性を欠いたものであるとして、控訴審判決を再び覆して本件処分を取消しました。

【解説】

 一審及び控訴審判決は、結論こそ異なるものの、いずれもYに助成金交付・不交付の判断について一定の裁量があることを前提としつつ、不交付の根拠となる公益の内容や公益侵害の程度と、不交付によって芸術団体等に生じる不利益を「総合的に考慮」して助成金不交付の判断が合理的といえるかという判断枠組みのもとで判断しています。そのうえで、本件映画に助成金を交付することで「国は薬物乱用に対し寛容である」等の誤ったメッセージを発することになるというYの主張が合理的といえるかという点の判断が一審と控訴審で分かれ、異なる結論を導いたことになります。

 憲法学の考え方には、表現の内容に基づく規制に対しては表現の自由の保障の観点から厳格な審査を行い、内容に中立な表現規制(表現の時、場所、方法に関する規制)については内容規制よりは緩やかな基準によって審査するという考え方があります。本件処分は、助成金の交付・不交付を決定するものであって、表現行為それ自体を禁止するものではありません。また、出演俳優を理由とする処分であって、映画の表現内容そのものを規制する趣旨の処分ではありませんでした。したがって、第一審及び控訴審が公益と助成金不交付による不利益の総合考慮という判断枠組みを採用したことは理解しやすいところです。

 ところが最高裁判決は、公益という抽象的概念を理由として交付金を不交付とすることは、表現行為の「内容」に萎縮的な影響が及ぶ可能性があり、表現の事由に照らして看過しがたいとして、「重要な公益」が害される「具体的な危険」がある場合に限って助成金不交付を認めるという非常に厳しい判断枠組みを示しました。

 最高裁はあえてこのような厳しい判断基準を示した理由として考えられるのが、本件補助金の不交付によって生じる表現の委縮効果を重く見たのではないかという点です。

 映画製作会社であるXとしては、出演者であるAが映画完成後に逮捕されること事前に予測困難な事情であり、そのような事情によってYから「後出しジャンケン」的に内定していた補助金を交付しないとされることは納得しがたいものだったと思われます。しかも、Yが補助金不交付の理由として挙げる「出演者が公益性に反する」というのは非常に曖昧な概念です。今回は違法薬物の使用が問題となりましたが、出演者が交通事故を起こした場合はどうか、不貞スキャンダルを起こした場合はどうか、SNSで不用意な発言をして炎上を起こした場合はどうかなど、様々な事情において補助金交付の可否がどの様に判断されるのか予測が困難です。このような回避困難かつ予測困難な事情によって補助金の交付が判断されることとなれば、補助金交付を前提として映画を作成する制作者にとっては映画製作自体を困難とすることになりかねません。最高裁はこのように本件処分が映画製作、ひいては補助金の対象となりうる芸術活動全般に対し強い委縮効果をもたらしうるという点を踏まえ、厳しい判断基準を示したのではないかと思われます。

 「表現の自由」は、憲法第21条で明確に保証されている権利ではあるものの、その社会的意義が日常生活からは分かりづらく、時に公益性を理由として安易に制限されてしまいます。この点、最近のニュースを見ると、「表現の不自由展」実施のための施設利用をめぐる問題、クルド人による祭り開催のための公園利用許可の問題、さらには水着撮影会のための水上公園利用の問題まで、様々な表現行為における公的施設利用の拒否を巡る報道が相次いでおり、訴訟となっているものもあります。それぞれの判断に対しどのような評価をするかは事案ごとの問題ではありますが、表現の自由と公的助成の関係に注目が集まっている中、最高裁が本件判決で表現の自由を重視する判決を示したことには注目したいと思います。

最高裁令和5年11月17日判決

令和6年3月30日      文責 弁護士 増﨑勇太

※この解説は公開されている判例をもとに作成されたものです。判例で認定された事実と、実際に生じた事実が異なる場合がありうることはご留意ください。

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