テーマ判例コラム 信託財産 最高裁令和8年1月20日判決
今回紹介するのは、弁護士が依頼者から預かる「預り金」について、信託契約が成立するかが争点となった最高裁判決です(以下「紹介判決」といいます。)。
高裁への差戻し判決であり、事案に対する明確な結論を示したものではありませんが、信託契約の成立の判断基準について参考になると思われるため紹介いたします。
【事例】
本件は、上告人Yが、弁護士である被上告人Xが開設する「預り金口弁護士X」名義の普通預金口座(以下「預り金口座」といいます。)を差し押さえたのに対し、Xが同預金口座は信託契約に基づく信託財産であるとして第三者異議の訴え(民事執行法第38条)を提起した事案です。なお、Yは婚姻費用分担金の支払いを命じる審判を債務名義として差押をしたとのことであり、XとYは夫婦のようです。
Xは、預り金口座は依頼者からの預り金を原資とする口座であり、X自身の財産や弁護士報酬とは分別して管理している口座であるから、依頼者との間で預り金を信託財産とする信託契約が成立しており、預り金口座は信託財産に属する財産であって差押えの対象にならないと主張しました。ただし、弁護士としての守秘義務を理由に、預り金口座の具体的内容については主張をしなかったようです。
これに対しYは、信託契約の具体的内容が主張されない以上、信託契約の成立は認められないと主張しました。更にYは、仮に信託契約が成立しているとしても、差押え後にXは業務停止2か月の懲戒処分を受けており、信託契約は終了しているから、預り金口座の預金は原審の口頭弁論終結時にはXの固有財産となっていると主張しました。
原審の東京高裁令和5年8月2日判決は、依頼者からの預り金が弁護士の固有財産から分別管理されている限り、預り金を信託財産とする信託契約の成立が認められ、その具体的内容の主張は要しないと判断しました。さらに、預り金口座が信託財産に属する財産であるかは、差押がされた時点を基準として判断されるべきであるとし、結論として預り金口座は差押えの対象にならないと判断しました。
この高裁判決に対しYが上告をしています。
【裁判所の判断】
最高裁は、信託契約の成否が争われている場合、当事者双方が主張立証を尽くせるように契約の成立について事案に応じて具体的な主張がされる必要があるとしました。そして本件について、Xは預り金保管の目的について具体的に主張せず、Xが提出する帳簿等からも預り金の保管目的が把握できないため、Xが弁護士として守秘義務を負うことを考慮しても主張が不十分であるとしました。
さらに最高裁は、差押時に被差押財産が信託財産に属する財産であっても、差押後に受託者の固有財産に属することになった場合は異議の主張は認められなくなるとし、預り金口座が信託財産に属する財産であるかどうかは事実審の口頭弁論終結時を基準として判断されるべきとしました。
結論として最高裁は、原審を破棄し、信託契約の成否や差押後に預り金口座が信託財産でなくなったかについてさらに審理するため事件を高裁に差し戻しました。
【解説】
信託契約とは、一定の目的に従い財産の管理、処分等を委託する目的で受託者に財産の譲渡等をする契約を指します(信託法第3条1号)。信託により管理処分すべき財産を「信託財産」といいますが、この信託財産は受託者名義の財産であるにもかかわらず、受託者固有の債権に基づいて強制執行等をすることはできないこととされています(信託法第23条第1項)。
弁護士業務に限らず何らかの事務を受託する際、事務処理に必要な実費をあらかじめ預かったり、事務処理の過程で金銭を受領して一時的に預かることは珍しくありません。この預り金は本来は委託者に返還すべき財産ですが、受託者の債権者が預り金を差し押さえることとなれば、委託者は安心して受託者に金銭を預けることができず、事務を委託すること自体にも支障が生じます。
そこで信託法は、信託契約に基づいて受託する信託財産を受託者固有の財産から分離し、受託者固有の債権者による強制執行等の対象外としました。
一方で、受託者の財産を信託財産名目で強制執行の対象から外すことが無制限に可能となれば、執行逃れを容易に許すことになりかねません。
そのため、どのような要件を満たせば信託契約が成立し、預り金が信託財産として強制執行の対象外として認められるかは以前から議論されてきました。
代表的な判例である最高裁平成14年1月17日判決は、工事注文者から工事代金の前払金を受領した工事業者が工事完了前に破産し、工事業者の破産管財人が前払金の保管されている預金の払戻し等を請求した事案です。
最高裁は、請負人、注文者及び保証業者の三者間で前払金の保証契約が締結されており、同契約において前払金を特定の口座で保管する義務、特定の目的のために使用する義務及びその使途を保証業者に説明報告する義務を請負業者が負っていることを指摘し、信託契約の成立を認めました。そして、前払金が請負業者の一般財産と別の預金口座で分別管理されており、特定性をもって保管されていることから、前払金が信託財産であることについて破産管財人を含む第三者に対抗できると判断しました。
この最高裁判例からは、①財産の使途や保管方法等を明確に定めたうえで財産を委託し、②委託した財産が受託者の一般財産から分別管理されていることという2つの要件を満たす場合は信託契約の成立および第三者への対抗要件が認められると言えます。
一方で、比較的緩やかに信託契約の成立を認めた下級審の例として東京地裁平成24年6月15日判決があります。
同判決は、Aを含む4名の親しい友人どうしで旅行に行くために「○○の会代表者A」という名義の預金口座を作成し、それぞれ月5千円~1万円ずつを積み立ていたところ、Aの債権者が同預金口座の預金全額(241万7648円)差し押さえたという事案です。
東京地裁は、4名が旅行資金としてのみ使用することを合意して預金口座を開設し、Aは不定期ではあるが預金の管理状況を他の友人らに報告していたとして、預金のうち4分の3は他の友人らとの関係で信託財産に該当すると判断しました。(なお、A自身が積み立てた預金に関し、Aを委託者兼受託者とする信託が成立しうるかについては、請求に含まれていないとして東京地裁は判断を保留しています。)。
この東京地裁判決の事案は、前記最高裁平成14年判決のように契約に基づく厳格な財産の委託、管理がされているわけではなく、この程度の管理状況で信託契約が認められるかについては異なる見解もあるようです。
翻って紹介判決で問題となっている弁護士の預り金についてはどうでしょうか。
事案にもよりますが、弁護士が依頼者から預かる預り金について、事件本体の委任契約書とは別途預り金に関する契約書を作成し、管理方法等について明文で定めるということは多くないと思われます。
一方で日本弁護士連合会(日弁連)が定める弁護士職務基本規程では、弁護士の預り金について自己の金員と区別して管理し保管状況を記録すること、委任終了時には迅速に返還すること等が定められています。さらに日弁連の定める預り金等の取扱いに関する規定では、預り金専用口座を開設し所属弁護士会へ届け出る義務や依頼者に対する収支報告義務等が定められています。したがって、依頼者との個別の契約で預り金の管理方法等が合意されていないとしても、日弁連が定める規制により預り金が分別管理され特定の目的のみに利用されることが確保されており、信託契約の成立を認めやすいということになりそうです。紹介判決の沖野裁判官が意見でこの点を指摘しています。
紹介判決ではXが預り口座の詳細を明らかにしなかったという事情があるようですが、預り口座に入金された金銭の内訳や使途が一定程度明らかになれば、預り金について信託契約の成立が認められることを紹介判決も前提にしていると考えられます。
更に紹介判決でYは、X弁護士が業務停止処分を受けたことにより信託契約が終了したと主張しています。
この点、信託法第59条第3項は、受託者が辞任、解任等により任務を終了した場合、新たな受託者が信託事務を引き継ぐまで引き続き前受託者が信託財産を保管する義務を負うと定めています。したがって、弁護士が業務停止処分により辞任又は解任となったとしても、預り金口座の預金が当然に信託財産でなくなるわけではなく、差押えが直ちに認められることにもならないと考えられます。
もっとも紹介判決の事案の場合、令和4年に預り金口座が差し押さえられ、紹介判決が出された令和8年まで3年以上が経過しています。そうすると、この期間に預り金を受領した事件が終了していてもおかしくありませんが、預り金口座が差押えにより金銭を引き出せないため、X弁護士が自費で預り金を返還したり、預り金を報酬に充当したりしている可能性があります。この場合、預り金口座の預金は信託財産としての性質を失いXの固有財産になっているとも考えられます。この点は林裁判官及び平木裁判官の補足意見で指摘されており、差戻審で適切に審理判断することが期待されるとされています。
最後に、紹介判決は上記東京地裁判決のように緩やかに信託契約の成立が認められるかについて判断を示すものではありません。差戻審において預り金の管理状況等が明らかになったうえで信託契約の成否が判断されれば、信託契約成否の判断基準についてより具体的な参考事例となるかもしれません。
令和8年2月6日 文責 弁護士 増﨑勇太
プラスワン法律事務所
※この解説は公開されている判例をもとに作成されたものです。判例で認定された事実と、実際に生じた事実が異なる場合がありうることはご留意ください。
